私は改めて、極めて事務的に “恋人”期間は週明けまでの数日間ということとインスタ用の写真を一緒に撮ってほしいこと、そして実家で家族に会って恋人のフリをしてほしいと伝えた。
ノアさんは、じっとそれを聞いて深く頷いた。
光に眩しそうに目を細める姿や、無駄なくクロワッサンをちぎって口に運ぶ姿に見惚れそうになる。
「ノアさんって幾つなの?」
「僕?今、28歳」
「...どこかのハーフ?」
ははっと、彼は乾いた笑みを浮かべた。
「母が日本人で、父は英国人。ご名答」
「ノアさん、顔良すぎ、モデルだとか?今は花が好きなの?」
私は、思わず質問攻めにしてしまう。
「元は少ししていたかな?花は日本へやってきてから好きになった」
「やってきてから?」
「16まで、海外にいたんだ」
だから妙にどこか心にひっかかるような日本語を使うのかな?なんて、勝手にぼんやり思いながら、ベーグルにかぶりついた。
どこかぶっきらぼうな口調だけど、そっと寄り添ってくれる様な優しさ。
ここ数日で感じていた心の中の荒波がそっとさざなみに変わっていく様な感覚を私は感じていて、次第に安心していった。
「ノアさんは花屋をしていきたいの?」
「まだ分からないかな?それを探るためにあそこにいるのかも」
「やりたいことがあって、それができるっていいことだよ、絶対に」
ノアさんはふっと微笑むと、私にこう問いかけた。
「茉莉花は、将来これがしたいとかある?」
囁く様な声に私は少しだけ考えると、GUCCIの鞄からA4版のスケッチブックを取り出した。
「大学でデザインも少しやってるの、まだまだだけど...」
「良かったら見せて」
はい、と私は素直に彼に手渡した。
”期間限定”という制約が他人には見せない面を簡単に押し開いた。
中を見たノアさんの瞳が少し大きく見開かれた。
「へぇ、上手いね」
私が密かに書き溜めていたのは、様々な車のデッサンやデザインだった。
「ありがとう、嬉しい」
私は素直に感謝を述べた。そして言葉をつなげる。
「でもこれは夢だけなの、これで食べていこうとか無理なの」
本当は大きな賞がもらえるデザインコンテストにいくつも応募したこともある。
今も万丈家の名前は出さずに、一個人として夢だけは私だけのものにしたかった。
彼は何も聞かず、言わず、そうかとだけ言葉を返した。私はこの空気をどうしても変えたくて
「ねえ、これ食べたら出ようか?行きたいところがあるの」
するとまるで漂う波にそっと細い指を差し入れる様に、ノアさんは優しく微笑み頷いた。
◆
「わーっ!ここすっごく来たかったの!すっごく綺麗!」
私たちがやって来たのは、夏限定で百貨店の美術館で行われているアートアクアリウム。
幾万もの金魚を、ガラスで区切られた場所を、最新のプロジェクションマッピングや光で照らし出し、真っ暗な美術館を美しく、時に妖艶に映し出している。
「まるで別世界みたいだ」
隣ではノアさんも少し声のトーンが上がった。そっと隣を見ると瞳が光に照らされてキラキラと輝いている。
場内は閃光禁止なので、スマホを取り出すと私は金魚の前で自撮りを始める。
何枚も、何枚も、重ねていく。限られた光で盛れる角度を探っていく。
息をする様に、自分をプロデュースしていく、それがインフルエンサーのわたし。