「私も失礼します」
机周りを片付け、パソコンの電源を落とすとひとみは一礼して部屋を後にする。
佐智子の様子を見に行こうかと思った瞬間。
「お疲れ様でしたぁ」
背後から声を掛けられた。振り向くと私服に着替えた佐智子が微笑んでいる。
「終わったの?今、様子を見に行こうかと・・」
「ありがとうございますぅ。今日の分は終了でぇす」
さほど疲れた様子もなく、佐智子が答える。
「そう、無理しないでね」
ひとみが声を掛けると、佐智子が真顔でこう言った。
「・・ひとみさんって、貴重ですねぇ」
「え?どう言う意味?」
「ん~。ま、気にしないでくださ~い。じゃ、失礼しまぁす」
佐智子はそう言うとディオールの新作らしいワンピースの裾を揺らしながら7㎝のヒールを鳴らしてエレベータへ向かう。
ひとみはその後ろ姿を見つめながら、言葉の意味を測りかねていた。
●煌めく夜景
水曜日、午後7時
中村区名駅にあるラグジュアリーホテル。山村礼子はその最上階の52階にあるラウンジに来ていた。
いつもは束ねているストレートヘアを下ろし、普段より赤みの強いリップをつけている。襟元と袖口にジョーゼットをあしらったシルクのブラック・ワンピースは昨日、慌ててデパートで買い求めたものだ。
火曜日に桐生に時間をとって欲しいと伝えた礼子だったが、指定されたのがこの店で慌てて準備をした。
“Blue Sky “。名前は聞いたことがあるものの、会員制のビストロ兼ラウンジとして有名なこの店に来るのはもちろん初めてのこと。表立ったドレスコードはないが、客層は有名人やエグゼクティブクラスの人間ばかりだろう。
普段なら行かないブティックで礼子はスタッフに言われるまま、洋服を整えたのだ。冬の賞与がすべてなくなるほどの金額になったが、今夜のことを思えば惜しくはなかった。