佐伯は膝に顔を埋めた。奈緒は、吐き出しようのない感情をあぐねるしかなった。
「…痛かった?」
『私だけを、愛してくれないなら…死んでよ!』
佐伯の手は真っ赤に染まっていた。
腹が熱くて仕方がなかったが、痛みを感じた記憶はない。ただ、目の前が真っ赤に染まった彼女は綺麗だった。
『分かった。…一緒に居よう。愛して…る。』
忘れたくても、忘れる事は許されない、鮮血の誓い。
しかし、世論はそれを許してはくれない。放っておいてもくれない。
好き勝手に報道され、SNSには双方の画像や個人情報が流され、佐伯が当時勤めていたホストクラブにも苦情が殺到し、辞めさせられた。
腹部を数回刺された事により、今は酒を飲むこともできない。
―でも、彼女が好きだった気がして…。
【ラナンキュラス】を開いた。いつの日か、また笑って欲しかった。―
彼女は、謝罪を繰り返し、反省と後悔を口にしていた。
だから、証人として弁護士に呼ばれて出廷した際に、彼女との関係を本当の意味で終わらせるつもりだった。
『彼女に…寛大な処遇をお願いします!』
その発言から、『示談金目当ての最低被害者ホスト』として、再炎上するとは思っていなかった。今回の炎上で三度目だ。事件が起こった時、裁判の時、そして彼女が仮出所を決めた今。その度に、両親が金を支払いに来る。
『…名古屋市から消えて欲しい。金は幾らでも払う。』
佐伯は水仕事で、絆創膏だらけになった大きな手で顔を覆った。
「痛いな…今の方が、痛い!」
奈緒はいつも、母の肩越しに男の姿を見ていた。男に溺れて泣きじゃくる母が、自分の手を払いのけた記憶は消えない。
でも目の前で泣いている、小さく身を捩って震える男の傷ついた手が、愛おしくて仕方がなかった。
「痛々しい手。私はこの手を振り払わないよ。」
肩越しではない、目の前にいる男の両手を包み込んだ。
「ごめんなさい。傷つけるような事を言って…」
「謝らないで。もう、謝らないで…謝られたら、僕はそれ以上に謝ることが出来なくなるから。お願い…」
「なんで、佐伯さんが謝る必要があるんですか!あなたは被害者です!!」