自分探しの旅から看護師としてのキャリアを築き、サルサダンスに出会って180度人生が変わったという「Radiance宮崎」代表・屋宜直美さん。
看護師、そしてシングルマザーでありながら、町内のひとり親家庭支援福祉団体の会長として活躍する彼女が、なぜサルサダンスに情熱を捧げ、親子コミュニティの構築に力を注ぐのか、その魅力と使命感を紐解いていきます。
―現在のライフスタイルなどを交えて自己紹介をお願いいたします。
日本サルサ協会サルサダンス特定認定指導員の屋宜直美(やぎなおみ)です。
サルサダンス教室をしながら、看護師として福祉施設で働いています。5歳の男の子のシングルマザーで、町内にあるひとり親家庭支援福祉団体の会長もしています。
―屋宜さんはとてもパワフルですね。毎日が忙しそう。
はい、今は(笑)ですが昔は、なるべく目立たないように、自分の存在を消すように引きこもって生きてきたので気力も活力もなかったです。
ですから、高校卒業後は「早くこの土地から逃げ出したい」という思いで、自分探しの旅に出ました。
―地元に戻るきっかけがあったのですか?
高校卒業後、自分探しを5年ほどしましたが、何をやってもうまくいかず…。
もともとなりたかった看護師の道に進むと決断してから、地元に戻りました。社会人入学で看護専門学校に入り、准看護師を取得後、沖縄にわたり正看護師の免許を取得しました。
―サルサがきっかけという訳ではない?
そうなのです。サルサに出会ったのは、准看護学校を卒業した直後です。
―看護師になろうと思ったきっかけは?
私の祖母が入院している時、呼吸器をつけていました。ですが、痰が絡んで苦しそうにしているのにナースコールを鳴らしても、呼吸器のアラームが鳴っても、なかなか看護師さんが来てくれなくて。不
安と恐怖を感じたのがきっかけです。
―それは不安になりますよね。
はい。私に知識や技術があればこんなに不安にならなくてもいいし、悔しい思いをせず大切な家族や大切な方を救うことができるのではないかと考えたからです。
ここからは、サルサとの関わりについて屋宜さんにお話をお聞きしました。
まずは、サルサダンスについての紹介を
サルサ (Salsa) は1960年代後半にニューヨークのプエルトリコ移民が中心になり作られた比較的新しいペアダンス。サルサ音楽に合わせ、通常二人で踊る。サルサは男性が全ての動きを決める腰を使ったラテンダンスで、男女がペアで踊るダンスの中ではスピードも速いのが特徴である。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
―サルサに出会ったのは?
姉から福岡で開催されるサルサイベントに誘われたことがきっかけです。
イヤイヤですがついて行くことにしました。まさか、ここで私の人生が大きく変わるとは思ってもいませんでした。
―ラテン系のダンスは華やかで艶がありますね。個人的に習うのに気後れのようなものを感じますが、サルサを習うにあたりハードルは高くなかったですか?
サルサに出会ったとき、頭に雷が落ちたような衝撃を受けたのです。私が今まで生きてきた世界にはこんな華やかでエネルギッシュな場所はなかったから。みんながキラキラしていて開放的で、音楽を聴いているだけでも、心も体も躍動を感じました。
その衝撃と「私もこの人たちみたいにキラキラしたい!」という想いだけで、その想いを叶えるために動いた感じです。
―サルサへの情熱が生半可ではないですね。ここまでのめり込んだのは、なぜだと思いますか?
もともと親からの虐待で人の顔色を見ながら怯えて生きてきました。
学生時代には長年イジメにあい、目立ったらいじめられる、なるべく目立たないようにしようと自分の存在を隠すように生きてきました。
サルサを初めて見たときに、みんなが自由で、人のことを気にすることなく、楽しい!という感情を隠すことなく、楽しそうに踊っているのを見て一瞬で惹かれました。私には感情を解放するということが恐怖でできないことだったので…。
感情を表に出すこと、人の目を気にすることなく生きること、それを心の中で強く望んでいたけれど、とにかく人間が怖かった。私にとってサルサを習うということより、話すことの方がハードルが高かったのです。
無言のコミュニケーションのまま感情を解放することを可能にしてくれるコミュニティに出会えたから、のめりこんだのだと思います。
―サルサを教えようと思ったきっかけ、そして教室をオープンさせようと思ったきっかけをお聞かせください。
先ほどお話ししたように、サルサで私は人生を180度変えてもらいました。その後もいろいろな場面でサルサに助けてもらいました。離婚のときもそうです。
パートナーとの関係がうまくいかず、毎日イライラしていて。ちょうどそのころ、子どものイヤイヤ期と重なり、毎日気が狂いそうで、危うく手を挙げてしまいそうになることもありました。
このままだと自分自身も息子も壊れてしまうのではないかと思いました。その時本当に、サルサに助けてもらいたいと思ったのです。ですが、宮崎には踊る場所や教室が少なく、当時あったサークルも活動が休止中でした。しかも赤ちゃんを連れて踊り場には行けないと半ばあきらめていました。
そんな時、通っていた育児支援センターでサルサダンスをやっていたことを話すきっかけがあって、たくさんのママから「踊ってみたい」、「運動したい!」との声が上がりました。
育児支援センターで赤ちゃんを抱っこしながらサルサダンスを踊る、という活動を始めたのが教えるきっかけです。
その活動を始めてから、私も息子もイライラしている状況が減っていきました。
サルサは踊れるうえに、赤ちゃんとスキンシップができます。よくよく調べてみると、サルサダンスは幸福ホルモンが増加すると言われていて、肌と肌が触れ合うことでタッチングの作用もあることを知りました。
毎日悲しいニュースを見るたびに、このママや赤ちゃんを救うことはできなかったのかな・・・悲しいニュースは聞きたくないけれど、育児ストレスで辛くなっているママは多いだろうな・・・と育児ママのストレスや不安を少しでも減らして社会問題を解決したいという想いになり、教室のオープンに至りました。
―屋宜さんが運営されているサルサ教室はママさん向けのメニューが豊富で、通いやすいのも魅力ですね。ママさん向けのメニューを作った理由をお聞かせください。
子育て中のママは子どものことを優先するので、一人の時間やリフレッシュする時間がなく、24時間働いている状況です。
そんな状況が続けば身も心も疲れてきます。実祭、その状態を体験したので、一人の女性として少しでも自分の時間を確保してもらいたいと思い、ママ向けのメニューを作りました。
―サルサ漬けの毎日をお過ごしのようですがレッスンが辛いと思ったことはありますか?
年を重ねると疲れやすくはなりましたが(笑)、踊ると不思議と元気になるのです。
踊ったら元気になることを知っているし、生徒さんが私の教室を選んで来てくれているので、生徒さんにも楽しく有益な時間になってほしいなと思っています。辛いという感情は出てこないですね。
―個人的にずっと思っていたことですが、ダンス用のハイヒールを履いて踊りますよね?ステップ難しくないですか?
ダンススニーカーを履いて踊っていても踵は付けずに踊るのでヒールを履いている状況と同じなんですよ。ダンス用ヒールは足首をしっかり固定するので案外安定して踊れます。
練習中はスニーカー、パーティーやイベントの時はヒールと履き分けている方もいらっしゃいますよ。
―これで長年の疑問が解消されました(笑)ありがとうございます。
いえいえ(笑)
―ところで、屋宜さんにとってサルサの魅力とは?
無言なのに笑顔が溢れるコミュニケーションツールです。
一期一会なダンス(同じ人と同じ曲を踊っても同じ踊りにはならない)や、サルサを通じて他国の人と友達になれることも魅力です。
―私らしく生きるとは?
自分の喜怒哀楽の感情を偽ることなく自分で感じる事、ですかね。
―最後に、今後のプランやチャレンジしたいお仕事、目標などお聞かせください。
サルサダンスには体を動かす楽しさとダンスパートナーとの触れ合いによるタッチング効果があるので、その良さを活かして親子の絆と愛着形成を促す親子教室を始めたいと思っています。単発ではなく一定期間通っていただく教室で、子育てママのコミュニティとなることを目的としています。
通っていただく中で育児不安やストレスの解消につながればいいなぁと。ママ友のつながりを大切にし、一人で子育てではなく、みんなで子守りができる環境にしていきたいと思っています。
また、ベベサルサのダンスインストラクターを育成し、全国各地に健康で笑顔あふれるママコミュニティを増やしていきたいです。
―お話を終えて―
屋宜直美さんのお話を伺い、素晴らしい人生と活動に感銘を受けました。彼女の情熱と努力によって、サルサダンスを通じて多くの人が元気を取り戻し、コミュニティが形成されていることは素晴らしいことだと思います。また、親子向けのサルサ教室を通じて、親子の絆を深め、ママたちにサポートと楽しみ、つながりを提供しようとする彼女の目標にも感銘を受けます。
屋宜直美さんのようなパワフルで前向きな存在が、社会に希望と活力をもたらすことは間違いありません。これからも彼女の活動が多くの人、特にママたちに影響を与え、幸せな未来を築いていくことを願っています。
Profile
屋宜 直美 Naomi Yagi 日本サルサ協会サルサ認定指導員
Facebook:屋宜直美 Instagram:@radiance_salsa_miyazaki |