960年代から1970年にかけて活動したイギリス・リヴァプール出身のロックバンド「The Beatles(ビートルズ)」。デビューから50年以上たった今でも世界中の音楽ファンの心を掴み続けています。今回は、結成のきっかけから、活動・解散に至る経緯、そして今もなお愛され続けている理由についてご紹介します。
1962年10月5日、「Love Me Do」でスタートをきったビートルズ。「愛しておくれ 君のこと愛しているんだ この気持ちはいつまでも変わらない」と愛情たっぷりの歌で国民のハートを掴みました。そんなビートルズの活動期間はわずか8年。しかし彼らはこの8年の間に、数々の世界記録とともに、音楽、文化、ファッションなど、時代や国境すらも超え、世界中の多くの人たちに影響を与えました。もちろん日本も影響を受けた国のひとつ。その証に、ビートルズが来日した日6月29日を「ビートルズの日」として親しんでいます。
今回は、結成のきっかけから、活動・解散に当たる経緯、そして今もなお愛され続けている理由についてご紹介します。
<メンバー> 4人の天才
■ビートルズのリーダー「ジョン・レノン」
■ビートルズの代表曲とも言われる楽曲の多くを作詞作曲した「ポール・マッカートニー」
■独自の才能を開花させ続けた「ジョージ・ハリスン」
■彼の存在なしではビートルズは語れないと言われる人気者「リンゴ・スター」
<結成> ビートルズはどのように誕生したのか
全ての始まりはジョン・レノン。
1957年3月、当時16歳だった彼が、同級生たちと一緒に「ザ・クオリーメン」という名のバンドを結成します。しかし、この「ザ・クオリーメン」はアマチュアバンドだったため、メンバーの入れ替わりも激しかったようです。
そんなある日、セントピーターズ教会で開催されたガーデンパーティーで、彼らは初めて人前で演奏することになりました。そのパーティーに来ていたのが、ポール・マッカートニー。
その日ポールは、ステージで演奏するジョン見て衝撃を受けます。なぜなら、人前で演奏するのにもかかわらず、歌詞もギターのコードも覚えず適当、それなのに堂々としていたから。その破天荒な姿にむしろ魅力を感じたというポールは、演奏後に友人の紹介でジョンと出会います。これが二人の運命的な出会いです。
そしてポールはその場でいくつかの曲を正確に演奏して見せ、ジョンはその才能を認めます。二人はあっという間に意気投合し、2週間後、ポールはバンドに加入しました。
次にジョンが出会うのはジョージ・ハリスン。ジョージは、子供のころからギターに夢中で、年下でありながらも、ポールと仲の良い友人でした。そして1958年、ポールはジョンの元に、ジョージをバンドに加えてほしいと連れて行きます。しかしジョンは、まだ子供だろ?とジョージの加入を拒否。そこでジョージは、ジョンの前でテクニックが必要な曲、「Raunchy※」を弾いてみせたのです。まさか弾けると思っていなかった曲を見事に弾いてみせたことによって、ジョンはそのテクニックを認め、ジョージの加入を了承しました。
いよいよプロの道を目指し始めますが、ドラマーだけが定着せず彼らは悩みます。そこで1960年、当時よく出入りしていた喫茶店のオーナーの息子であるピート・ベストを誘って加入させ、ようやくバンドの構成が整いました。
ところがある日、ピートがプロデューサーに解雇され、ライブに出ることができなくなったのです。その穴を埋めるために第4の天才リンゴ・スターが加入しました。
そう、これこそが「ビートルズ」の始まりなのです。
- アメリカのロックンロールアーティスト、ビル・ジャスティスのインストゥルメンタル。シドニー・マンカーとの共作でサム・フィリップスがプロデュースした。(フリー百科事典ウィキペディアより)
<活躍>日本公演の様子
ビートルズ最初のシングル曲「Love Me Do」はイギリスで17位止まりだったものの、次に発表したシングル曲「Please Please Me」でイギリス音楽チャート初の1位を獲得。その後発売されたアルバムは30週連続1位を記録する大ヒット。また、エリザベス女王らが列席する王室主催のコンサート、ロイヤル・ヴァラエティ・ショーに出演することもありました。
1964年になると、ついにアメリカ合衆国に上陸します。人気TV番組「エド・サリバン・ショー」の出演時の視聴率は72%。アメリカでのブームをより一層加速させました。そのさなかに発売されたのが「Can't Buy Me Love」。予約販売のみで300万枚を突破します。そして彼らはアメリカのビルボード音楽チャートで1位から5位までを独占。絶対に破られない記録と語り継がれています。
加えて、ビートルズは、ギネスブックに認定されるほどのレコード総売上枚数をたたき出しています。その数なんと10億枚以上。
そして1966年6月29日、ついに日本へ。空港には約2000人ものファンが訪れました。そんな中開催された武道館公演。彼らは、ホテルと会場の間、沿道に2mおきに警官が配置された国賓並みの態勢で会場入りしました。待望の公演に集まった約1万人のファンの歓声は、エレキギターの音をかき消すほどだったそう。「ファンに国境はない」と彼らが記者会見で語ったように、日本公演は大成功を収めました。
<解散> 惜しまれながらの解散
解散理由は「ジョン・レノンが自らビートルズを離れることを決意した」と言われています。そしてそれをメンバー全員が理解していたようです。当時、ファンの間で噂されていた解散説、妻のオノヨーコが原因だという説とは違っていたようです。
全米ツアーが終了した後、4人はそれぞれに活動し、バンド活動は2か月余りしていませんでした。実際は、新しいアルバムのレコーディング前に予定されていた活動休止期間であったようですが、今後の活動について話し合いが必要だったことは事実。
「サンデー・タイムズ紙が掲載したポールのインタビュー記事」
―我々は自分たちの好きな道を進む準備ができた。将来4人が一緒に演奏するのは、お互いが懐かしくなった時である―を見たファンは大騒ぎ。しかしこれは、様々な活動ができる可能性を語ったものであり、解散を示唆したものではありませんでした。
それから、EMIとの再契約、新しい曲の発売、アルバムのリリース予定が明らかになるとファンの騒ぎも終息。しかし、1967年8月にマネジャーであったエプスタインが急死すると、メンバー間の不協和音が表面化し始めます。
1968年8月22日、リンゴが「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」のリハーサル中に突然スタジオを飛び出します。普段怒ることのないリンゴの行動に3人は動揺し、戻ってくるよう説得。その後、家族旅行でリフレッシュしたリンゴはスタジオに戻るも、1969年1月10日、今度はジョージが脱退を宣言しスタジオを後にします。
一方、ジョンとポールは、セッションが進むにつれて、慣れない映画スタジオでの作業やコンサートまでの時間がないことなど、緊張と不満が重なり軋轢が生まれました。
そんな中での解散はやはり、メンバー全員が理解していたことなのでしょう。
<その後>それぞれの活動
ビートルズの解散後、メンバーそれぞれアーティストとして活動します。
ジョンは妻オノヨーコとの活動が理解されない苛立ちや、ビートルズ解散の心情を「Plastic Ono Band」というアルバムに込めて世に出します。
ポールは、新たな一歩として、当時の自分とは決別したような曲「Every Night」を。ほとんどの楽曲を自らが演奏し、自宅でレコーディングするというマルチプレイヤーの才能をさらに開花させます。
ジョージは「All Things Must Pass」で、ビートルズ時代とは全く違った、一皮むけた印象をうけるアルバムを出します。そしてリンゴは、ソロ曲「Beaucoups of Blues」を。
才能を持つ4人それぞれが別々の道を歩みだした最初の曲を聴くことで、彼らの生き方がわかってくるようにも思います。
彼らが愛され続けている理由
50年以上が経過した現在でも、ビートルズは愛され続けています。以下にいくつかの理由を挙げてみましょう。
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音楽の革新性と多様性
ビートルズは60年代の音楽界において、革新的で多様な音楽を発表し続けました。その音楽の多様性と斬新性は、現代の音楽にも影響を与え続けています。
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時代を超えたメロディと歌詞
ジョン・レノン、ポール・マッカートニーの作曲力は非常に高く、感情豊かな歌詞やキャッチーなメロディが多くの人を魅了しました。テーマ性を持ち、多くの世代に影響を与えています。
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カリスマ性と個人的な魅力
ビートルズのメンバーはそれぞれがカリスマ的で独特の個性を持っていました。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人が、ファンにとっては憧れの対象であり、音楽以外でも人々の心を掴んで放しませんでした。
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社会的・歴史的背景
ビートルズが活動していた1960年代は、社会的、文化的変革期でした。その時代の象徴的な存在として、彼らの音楽は当時の人々にとって特別な意味を持ち、その後も影響を及ぼしています。
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アーティストへの影響
後に続くアーティストにも大きな影響を与えました。多くのミュージシャンが彼らの音楽に触発され、彼らの楽曲やスタイルからインスピレーションを受けています。
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メディアへの影響
解散してからも、ビートルズの曲は広範囲なメディアで選ばれ続け、頻繁に利用され、新しい世代にも広く知られています。また、メンバーであったポール・マッカートニーやリンゴ・スターなど、彼らが活動を継続し、音楽界で活躍していることも人気を維持させる一因でしょう。
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いかがでしたでしょうか。
6月29日は、音楽史上に永遠に名を刻むグループ「ビートルズ」が来日した日。わずか8年足らずの間に多大な影響を与えた彼らは、解散から50年以上たった今でも愛され続けています。
And any time you feel the pain
Hey Jude, refrain don’t carry the world
up on your shoulders
For well you know that it’s a fool
who plays it cool
心が苦しくなったら、ヘイ、ジュード、この言葉を繰り返すんだ
すべてを自分で背負いこまないで
クールに振舞うって愚かなことだと知ってるだろ
引用元:https://utaten.com/karaoke/beatles-masterpieces/#1_HEY_JUDE
そう、ビートルズの名曲は色褪せることなく永遠に私たちの心に響き続けるのです。
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yumeka 自分が書いた文章が世に出て、読者の目に触れることに喜びを感じつつ、学びが尽きないライター業を楽しんでいます。誰かの心を動かすことができたら…幸いです。 |