LIFE STYLE

回数を重ねるごとに楽しさが増す!?雪上を疾走するスノーボードの魅力にせまる【歴史編】

 

幅広い世代で人気があるスノーボード。その魅力といえばやはり、銀世界を疾走する爽快感。

一度見晴らしのよい雪景色の斜面を滑ると、その浮遊感や解放感を忘れることはできません。

2回目、3回目と回数を重ねるごとに楽しさが増していき、気がつけば冬の楽しみになっているという方も多いでしょう。

今回は、スノーボードの歴史をご紹介します。

今や知らない人はいないというほど定番のウィンタースポーツといえますが、いったい日本にはどのように伝わってきたのでしょうか。

 

【スノーボードの起源】

スノーボードが雪山で横に乗る板という定義なら1900年代初頭には、狩猟や山登りの際に深雪を楽に滑り降りる道具として利用されていました。ですが、現在のスノーボードに繋がると思われる流れには諸説あります。

中でも有名なのは、1963年にアメリカのトム・シムス氏(当時中学二年生)が学校の木工課題で作成した「スキーボード」という説。

トム・シムス氏は当時、スケートボードに夢中になっていました。そこで、冬でもスケートボードのような感覚を楽しみたいという想いから、雪上用のスケートボードを作成したという訳です。

また、1965年にアメリカのシャーマン・ポッペン氏が娘にスキー板を2本のボルトで留めたおもちゃをプレゼントしたことがはじまりと言われている説も有名。

はじめは、10歳と5歳の娘たちを雪で遊ばすために思い付いたものだったとか。それから、この発想を元に1966年に紐を付けた横乗りボードを特許申請します。

1968年にはスノーとサーファーを掛け合わせて「SNURFER(スナーファー)」という名称で商品化しました。

これが後に現在のスノーボードの形に導いたジェイク・バートン少年の目に留まり、シャーマン・ホッパーは「スノーボード界の祖父」と、ジェイク・バートンは「スノーボード界の父」と呼ばれるようになりました。

 

どちらの説にしても、1960年代にはスノーボードの元ができていたようです。

 

【世界初のスノーボードカンパニーの設立】

 

SNURFER(スナーファー)」と14歳で出会ったジェイク・バートン少年。彼は、夢のような可能性を持った乗り物に対して、誰も発展させようとしていないことに驚きを持ち続けていたといいます。

そしてついに、1977年バートン・ボード社をバーモンド州で立ち上げます。そして試作品を作り続けて3年後の1980年に、バートン・スノーボード社に改名。

世の中に「スノーボード」という言葉が正式名称として呼ばれたスタートと言えるでしょう。

 

ジェイク・バートン氏は、板とブーツを繋ぐ器具・ビンディングの重要性を認識しており、商品化されるまでに100本もの試作品を作っていたようです。

そして現在「Burton(バートン)」は世界中のスノーボーダーに最も支持されるスノーボードメーカーといっても過言ではないブランドとなりました。

 

【スノーボード大会の幕開け】

1970年代後半からスナ―ファーを中心に、各地で小規模な大会は開催されていたものの、いずれもローカルなものでした。

その中で、ひときわ目立っていたのは、ポール・グレイス氏。

彼は、スピードを競うスナ―ファーの大会で、360度回転するなどといったトリック技を披露し、観客を驚かせていました。

 

そこへ突如スノーボードを持って現れたのがジェイク・バートン氏だったのです。

しかし、彼が持っていたのはスノーボードであってスナ―ファーでないため、大会にふさわしくないと出場を拒否されます。しかし、ポール・グレイス氏が主催者に掛け合い、特別オープン部門での出場が許されることに。

結局、特別参加枠はジェイク・バートン氏のみの参加であったため、そのまま彼が優勝者となりました。

 

それからしばらく、小規模なスナーファー、スノーボードの大会が開かれ続ける中、遂に本格的な大会を目指しポール・グレイス氏が全米規模の大きな大会を目指します。

それが、1982年に開催された「全米スノーサーフィン選手権(National Snow Surfing Championships)」です。

この記念すべき大会は、バーモンド州スイサイドで開催され、全米から126名の選手が集まりました。その後もこの大会は続き、後のUSオープン選手権に繋がっていくこととなりました。

正式には1985年から「US OPEN」という名称が使われ、場所もストラットン・マウンテンに移されます。そこで、より本格的な大会へと成長していったというわけです。

 

【日本 スノーボードの誕生】

 

1970年代後半になると、日本にも少しずつスノーボードが伝わりはじめます。

1979年には、日本のスノーボードメーカー「MOSS」が、スキーの開放型プレートを改良し、世界で初めてブーツとスノーボードを固定する部品「ハードバインディング」を開発します。

このハードバインディングは、現在でも使用される形式となっているようです。

 

 

それから、北米スノーボード協会が発足したことにより、1982年になると日本スノーボード協会が発足されます。

1983年には、秋田県の共和スキー場で「第一回全日本選手権大会」が開催されました。同年には、湯沢国際スキー場で「第一回日本スノーサーフィンチャンピオンシップ」も開催されます。

どちらの大会の優勝も、初期の国内スノーボード創成期時代を牽引し、ムラサキスポーツのライダーでもあった松島勝美選手。その後に続く「丸井スノーサーフィングランプリ」では、玉井太郎選手、高橋邦彦選手、ジャンボ古川選手ら80年代後半の国内スノーボード界を支える数々の名選手が生まれました。

 

【日本のスノーボード人気】

 

スキー人口の多かった日本で実際にスノーボードが流行りだしたのは、スキーブームが一段落した1996年以降のこと。

新しいウィンタースポーツとして、さまざまなメディアが取り上げるようになったのがきっかけです。

レジャー白書※によるスノーボード人口統計は、1977年以降の記録しか残されていませんが、この時点ですでに、スノーボード人口は320万人となっていました。

その後2002年の540万人をピークに、不景気によるスキー場の閉鎖や少子化などが原因で、さらに減少を続け、2011年には400万人を割り込み340万人となっているようです。

※参考資料:「スノーリゾート地域の活性化に向けた検討会」最終報告参考資料(平成29年4月)

 

◆◆スノーボードの歴史はまだ浅い

 

いかがでしたでしょうか。

スノーボードの歴史を知って、より一層魅力に気付き始めたところではないでしょうか。

新しい滑走技術の向上と、急速に改良される用具とともに発展していくこととなったスノーボード。有名な2つの発祥説や日本での発展の仕方も紹介しましたが、どれをとっても、スノーボードの歴史はまだまだ浅いように思います。

次回は、スノーボードの競技についてご紹介します。これから先のスノーボードの歴史を繋ぐのは、あなたかもしれません!

 

次回:回数を重ねるごとに楽しさが増す!?雪上を疾走するスノーボードの魅力にせまる【競技編】をお送りいたします。お楽しみに!