人や物、お金、情報などが国境を越えて結びつき、世界の一体化が進むことを表すグローバル化という言葉。近年、世界とのつながりが深まりを見せ、日本人が海外で活躍することが増え、状況は進化しています。そんな中、仕事において成果を出す「エリート」と呼ばれる人材ですが、優秀なエリートとして日本で評価されていても、海外で同様の評価を得られる人はごくわずかだそう。これからの時代に対応するためにも、エリートの認識の違いを把握する必要があります。
今回は、グローバル化時代に求められる真のエリート像を見ていきましょう。
日本でいうエリートとは?
一般的に、エリートは高学歴でコミュニケーション能力の高い人が挙げられるのではないでしょうか。賢い、何でもできる、将来安泰、などがエリートと呼ばれる方たちの印象です。
世界で通用するエリートになるために「好き」を見つけることの重要性
そのイメージは、幼少期には絵本を読み聞かせ語彙力や読解力を育み、小学校に上がるころには塾や家庭教師をつけ、偏差値の高い学校を目指すなど、小さいころから学力が重視されている日本ならではのイメージなのかもしれません。
海外では、学力のみ重視する日本と違って、テストの点数では測れない能力を重視する傾向にあります。例えば、自信や自制心、回復力、責任感、共感力、柔軟性などの社会性情緒スキル。真のエリートとは、自分で自分らしい人生を切り開くことのできる強い心を持ち、尚かつ学力も高い人を指します。日本のようにテストの点数が良いだけでエリートと呼ぶようでは、世界で通用しないでしょう。真のエリートとは、プラスαがあってこそというわけなのです。
このプラスαを育むために大切なのは「好き」を見つけること。好きこそものの上手なれということわざがあるように、自分の情熱を注げる何かを見つけ、それに向かって邁進し、困難を乗り越え、やり遂げようとすることが大切なんだそう。
海外では、周りの大人は子供が興味を持ったことに対して全力で応援します。周りの大人がその子の好きを尊重することで、社会性情緒スキルが自然と伸びていくというわけです。テストの点数ばかりに心を奪われ、勉強だけにフォーカスしてしまうと、好きな事に当てる時間を喪失してしまいます。好きな事を通じて育む個性や人格形成で必要だった成長の時期を失ってしまうといった考え方です。
また、海外では最近どんなことを失敗し、その時にどう感じたか、そしてその失敗からどのようにして立ち直ったか、という話合いをする授業もあるようで、子供たちはそこから問題解決力を学びます。小さいうちから、失敗したらそこで終わりではなく、そこからリカバリーするさまざまな方法があるということを理解するのです。
海外のようにテストの点数プラスαの子育てを目指すのなら、子供の「好き」に注目してみましょう。そして失敗を失敗で終わらせず、いかに次につなげていくかがポイントのようです。
バブル崩壊後の長期不況とエリートへの期待
1991年、バブルが崩壊し長期にわたる大不況に見舞われた日本。この不況はこれまでの不況とは大きく異なるもので、自然にやってくる不況の循環期に、バブル崩壊による悪影響が重なって起きた新しいタイプの不況でした。そのため政府もうまく対応することができず、不況が長期化したといわれています。そして明るみに出てきたのが、エリートとして日本をリードしていくはずであったトップ層の不正や綱紀の緩み。こうした状況を背景に真のエリートを待望する声が大きく上り、議論されるように。また、そのころは「ゆとり教育」による学力低下が問題として取り上げられたこともきっかけとなり、日本でエリート教育の必要性が叫ばれるようになりました。
エリート(elite)の由来は、フランス語で「選ぶ」という意味を持つ「elre」から。もともとは良質の商品を指す言葉でしたが、1900年にイタリアの経済学者であり社会学者でもあるV・パレートが「イタリア社会学評論」の中で「エリートの周流」理論を展開したことにより、「選ばれた人」を意味するようになりました。パレートは、あらゆる時代、社会を通じて、この世は選ばれた少数のエリートによって支配されるし、されざるをえないと主張。このパレートの主張がヨーロッパへ、やがて世界中に広がっていきました。
いかがでしたか。
どうやら日本と海外のエリートには、歴史や目的など根本的なところから違うことがわかりました。日本のように、テストの点数を重視した教育カリキュラムでは、生きていくうえで必要な力、思考力などの社会性情緒スキルが生まれません。世界で通用するエリートになるには「学力プラスα」が重要になってきます。そのプラスαの力をどのようにして身につけていくのか。そして自分の好きを発見し、その好きをどのように育てていくのか。世界は個の魅力で勝負する時代へと進んでいるようです。
Text by yumeka