それまで見たことがない紗夜の顔に、坂間もさすがに心がざわざわとしていた。
だが互いに不安な顔をしたら終わりだ、さっと微笑むと
「プロジェクトメンバーの代表に、俺と小竹さんが選ばれた。よろしくお願いします」
紗夜は改めて、その時はじめて坂間の顔をじっと見つめた。
ずっと追い求めていたものがこうやって手に入ったのに心は澱み、荒れ果てている。
あの時のキスを見たから？この仕事に全てを打ち込みすぎたから？寂しさのままにお酒なんかに頼ったから？あの男性に全てをぶち撒けて、彼に感情のままに抱かれたから？
後悔なんて今しても、遅いのに。
「よろしくお願いします」
すぐ、婦人科に行こう。軽く坂間と握手すると紗夜はそう心に誓った。
◆
一方、リノは大荒れだった。
海老原に打診し、幹部たちにも根回ししていたのに見事に自分は外れた。99%、自分の名前が呼ばれると思っていたのにスポットライトが別の人物に当たるという屈辱。
「あ、あの、リノくん...」
そう廊下で汗をかきながら、弱気に話しかけてきた海老原を一睨みし、おニューのジミーチュウの黒いヒールを鳴らしながら無視して通り過ぎた。
もう、誰とも話もしたくなかった。
◆
さてっと、これで良し、と。
とある人物が、合鍵を高級高層マンションのポストにストンと落とした。数日前に美容室に行き、アッシュグレーの髪の毛にした殿村蒼が大きなスーツケースを持ち、リノの家を出て行こうとしていた。
彼は、彼が掲げていた目標を密やかに全うし憑代(よりしろ)にしていたリノから抜け出したのだった。
部屋に残された手紙の最後にはこう書かれていた。
”３年間、ありがとう。ホントに感謝してる、またいつか、愛を込めて♡ アオイより”
コロコロとカートを引き、歩く蒼の顔には後悔などはまるでなかった。真っ直ぐ、前だけを見て彼は歩いていった。