NOVEL

Insomnia Memories vol.9~新たな”心臓”を手に入れた青年、普通に生きろとは何か?彼の本当の”夢”とは?~

荷物をゆっくり片付けながら、両親はこれからのことを話してくれた。

両親は人生をこれからゆっくり過ごしたいらしい。

そこで子会社をほぼ売りに出して本社のみを将来僕に継がせて父は会長に落ち着く。田舎の古民家をリノベーションし、両親はそこで自給自足の穏やかな老後を過ごしたいらしい。いつの間にか自分たちの終活までしっかり考えている両親に軽く呆れ顔をしつつも、僕は体調が戻ったことで改めて通信大学へ通うと無事に卒業して、その後、会社を継いだ。

 

「名古屋の新鋭ITコンサルタント社長が巻き起こすビジネス革命」

ビジネス紙の表紙に掲載された僕は、長かった髪を整えオールバックにしてダーバンのスーツを着込み、父親から就職祝いだと送られたロレックスの時計を身につけた。

1年前までは痩せ細って、立ち上がることすら困難だった僕は今、時代の最先端に祭り上げられていた。

僕はまず、意見が交わしやすいように会社の組織を平面化し、オフィスをいつでも誰でもすぐに話せる明るい環境に整え、福利厚生も向上させた。何もしなくてもそれだけで有能な人材が新卒でも中途でも集まりはじめ、仕事は軌道に乗りはじめた。

「時生に、こんなにビジネスの才能があるなんてな」

両親は田舎で静かに茶でも飲みながら、そう喜んでいると言う。

 

 

 

だけど僕はあのまま、あの病室で眠っているまま、まだ気持ちがあのままなのだ。

 

普通ってなんだ?

「ひと様の心臓を頂いたんだ。大切にしなくては。これから元気に生き続けなければ…」

「あなたはこれから普通に生きていいのよ、普通になってほしいの」

両親の懇願がまるで頭に入ってこない。なあ、普通ってなんだ?教えてくれよ。

四角い窓をずっと見つめすぎて、あの世界が普通になってしまって。僕はきっとすぐ死んでしまい消えてしまうって思っていたから。

だから、死ぬかもって思われていた人間が突然「普通に生きろ、元気に生きろ」って言われても分かんない。

 

あの夜の少女の涙と眼差しが忘れられなくて、髪の毛をくしゃくしゃにしてスーツを脱ぎ捨てて、あり合わせの服を着込むと今日もコンビニで芋けんぴと水を買って、静かな公園に向かう。ここなら誰にも見つからない。

 

僕は“普通”の生活を手に入れた代わりに、“睡眠”を恐れ眠れない不眠症になっていた。

人は何かを手に入れると、同時に何かを失う。

何かの本で読んでなるほどな、と思った。

これが現実なんて思えなくて。人と笑っていても何かを食べていてもずっと望んでいた性欲を満たすときも、どこかで夢なんだろうって思ってて、覚めるんだろうかってずっと思っていた。

だからベンチに座りノートを開きペンを握るこの瞬間だけは浜名時生ではなく、詩人の山茶花アユムとして過ごしたいと思った。

そんな時に彼女が現れた。いつものように文字を綴っていると、ふっと耳に聴き慣れたクラシックが聞こえてきた。ドビュッシーの「月の光」。

顔を見上げると、月光に照らされた噴水の側で汚れた裸足の女性が涙を流しながら、手足を伸ばしながらまるで水の精のようにダンスを踊っている。

彼女は泣きながら、哀しい表情を浮かべながらも美しい舞いを見せてくれた。

思わず目を奪われた。拍手をする、それが章魚蘭との出会いだった。

芋けんぴを二人で頬張りながら、どこかで会ったことが、会った気がなんとなくしていた。

どこかですれ違った?話した?いいや、どこかもっと深いところだ。