NOVEL

Insomnia Memories vol.10~ダンサー志望のヒロインが挑む大オーディション、狭き門を彼女は自分で扉を押し開くことができるのか?~

私はオーディション会場がある栄のダンススクールのビルから飛び出した。もう電車もバスも乗りたくない、私、走りたい。

一刻も早くあの人に、会いたい!!

この思いを、きっと長い間真っ暗な夜の中にいるアユムに私が伝えなくちゃ。

空には一番星が光る、汗だくで走る私を周りの人々は怪訝そうに見つめる。

それでもいい、私は貴方に会いたい、この感情を何と言うんだろう。

照にいの心を持つから?何となく自分と似てるから?不思議な変な奴だから?

ううん、違う。

あの時、泣き出した私をそっと抱きしめて一緒に眠ってくれた。

眠れない私の心を唯一解放できた、たった一人の男性。

私は久屋大通公園へと一直線に走っていった。

 

時刻は午後8時、まだ人通りはあったもののいつものベンチに彼の姿が見えた。

 

 

私はふらふらになりながらも彼の前に静かに立った。

「アユム」

彼は私の声に気づき目を見開き、顔を上げた。彼はまるで丸い膜を自分の周りに張っているようだ。

「わたし…私、ダンスコンテスト…合格したんだ。やっと…自分だけの力で…」

自分で言いながら、ポロポロと涙が溢れ出してくる。

この人に私、一番に伝えたかったんだなあ。

「…そうか、おめでとう」

彼はノートを閉じると立ち上がった。その瞳はどこか寂しそうだ。

「君はダンサーになる、きっといいダンサーになるさ」

 

さよならと通り過ぎそうになる彼の腕に私はしがみついた。そして街灯の下に有無を言わさず連れていく。戸惑う彼なんてお構いなしだ。

「アユム…いや、時生。これを読んで欲しい」

私はカバンからクリアファイルに挟んだ手紙を彼に手渡した。

「さよならって言う前にこれ読んで」

 

これは私たち家族と、貴方に向けた手紙なんだ。兄からの。

 

 

彼女から手渡された手紙は、10年以上前に書かれたとは思えないくらい綺麗に折り畳まれている。

 

『父さん、母さん、蘭、そして臓器をもらってくれた貴方へ

人生何が起こるか分からない。法医学を目指し始めた時からドナー登録にずっと興味があった。幸い、幼い頃から大きな病気もせず健康に育って、優しい裕福な家庭で、妹の蘭も可愛くて恵まれているって思っていた。

長生きはしたい、健康なことに越したことはない。だけど人はいつか必ず死ぬ、だからその時に僕は生きようと必死で手を伸ばす人にバトンを繋げたいと思う。

もし脳死状態になった時には、提供カードにあるように使える臓器があったら遠慮なく使って欲しい。特に心臓は取ってしまったら僕は確実に死ぬ。でもそれによって生きながらえ、新しい景色を、世界を見てくれる人がいるとしたら僕はそれで幸せだ。だからどうか悲しまないで欲しい。

 

父さん、母さん、僕を愛してくれてありがとう。僕は今もこれからもきっと幸せだ。

蘭、大好きなダンスを好きなように踊ればいい、笑顔でダンスするお前を愛しているよ。

 

そして、いつかこのバトンを受け取る貴方へ。

顔も名前も性別も分からないけれど、どうかドナーになった人間のことで悔やんだり苦しんだりせず、貴方らしく自由に世界を謳歌して欲しい。世界は美しく優しい、それで悩んだり泣いたりすることもあるけれど、どうかそのバトンが貴方を照らす光となりますように。

どうか幸せになってください。

 

章魚照文』

 

粗末な街灯に照らされた生真面目な文章、それは心臓をかつて持っていた彼女の兄からの「光」だった。

普通でなくてもよかった、そのままでよかった、僕はそのままで頑張りすぎなくても良かったんだ。

涙が止まらない。幼い頃から生きることを諦めていた自分にとってそれはあまりに優しすぎる“詩”だった。思わずしゃくりあげ片手で顔を覆う。自分はこんなに泣く人間だったんだ。それを蘭がしっかりと支え、何も言わずに抱きしめてくれる。

「それをどうしてもアユムに読んでもらいたかった、絶対に」

「あたし、走ってきたんだ。これをどうしても届けたくってね」

笑顔で微笑む蘭、手紙を丁寧に折り畳むとそのまま彼女を強く抱きしめた。