NOVEL

錦の花屋『ラナンキュラス』Vol.10 ~閉店の覚悟~

今まで、佐伯自身は皆沢佳代が自分に求めた理想像に捕らわれて、この花を見てきた。

ギリシャ神話に残る紳士のようであって欲しいという願いに。

でも、それは彼女の願いであって、己の願いではなかったような気もする。愛が暴走するのは、自分への愛でしかないとリナに言われた時から、佐伯の中で何かが変化した。

 

『母親』も人間なのだ。

 

子供からしたら、『親』は絶対的な存在であったとしても、親だって孤独を感じ、現実から逃避してしまいたくもなるだろう。

そして、後悔することもあるはずだ。

そんな女性たちを相手にする仕事をしてきた自分が、気付けなかった過ちを知った時に、人はやっと過去の確執から脱する事が出来るのかもしれない。

 

女性は、ハンドバックから煤(すす)けたハンカチを出して涙を拭いていた。

「…ニュースを見て…何度も来ようと思ってたんだけど…今更どんな顔をしたらいいのか、解らなくて。」

 

 

この女性は、佐伯からしても招かれざる客だ。仲井のお節介だろうことは、重々解る。

だが、佐伯は出来上がった花束を女性に渡した。

 

「これは、僕からの最初で最後のプレゼントです。有難うございました。お元気で。」

 

許すことなんて、きっとできない。

でも、もう少し互いに時間が過ぎたら、また変わるかもしれない。

仲井が置いていった選別には、現住所なども記載されているはずだ。

 

自分自身の気持ちに整理がついたら、今度は自分から訪ねられる日が来ることを願って、佐伯は花束を抱えて帰る女性の背中を見送った。

 

それは、佐伯を捨てた母親だった。

随分と苦労して、生きてきたのだろう。

男が居なければ生きていけない、酒好きな夜の女が、しょーこママとは真逆な末路を辿っているようだった。

 

 

佐伯は夜風にあたりながら、【ラナンキュラス】の看板を見上げた。

 

「また…どこかで、花屋をやろう。その時も、【ラナンキュラス】にしよう。最後の客が…あの人なんて…皮肉すぎるだろ。」

 

大きく背伸びをしてから、シャッターを閉めようとした時だった。

 

「マスター!!!」

 

リナが険しい顔をして、走ってきた。

 

「リナさん…お久しぶりです。すみません。花は売り切れてしまって…」

「ごめんなさい!!」

 

半分泣きそうな顔をして、リナが佐伯を真っすぐした視線で見つめてきた。

店に顔を出さなかった事。自分の元夫が訪れた事。何に対しての謝罪であっても、佐伯は嬉しかった。