NOVEL

家にも外にも居場所がない vol.1 ~言いなりの人生~

 

 

 

 先ほど述べた通り、私は小学校から私立に通わされ、家に帰っても習い事ばかりで友達と遊べるのは休み時間だけでした。家に帰ったら習い事、塾、習い事、塾。そんな毎日で私の自由なんてありませんでした。

「お母さん、今度A子ちゃんと遊びに行きたいんだけど」

「何言ってるの? あなたにはやらなきゃいけないことがたくさんあるでしょう? 遊んでる暇なんてないのよ?」

 

 

 

 

 

 

母の教育は少し度が過ぎていて、今時風に言うなら教育虐待とでもいうのでしょうか。私はパニック障害になったり鬱になったりはしませんでしたが、正直そうなっていてもおかしくないくらい辛かったです。

そうなると友達と交遊する時間は減り、話す相手はいても遊び相手はいなくなり、人付き合いが苦手でした。大人とは上手く会話できるのですが、友達とは話が合わない事が多く、同じ習い事をしている友達くらいとしか共通の話題がありませんでした。

反抗期は親の言う事に反発しましたが、いつも叱られ、母がどれだけ私のためを思っているか、将来役に立つなどと言って私の気持ちはいつも置き去りでした。

私が習い事などを拒むと、怒鳴られ、無理矢理連れていかれました。私の気持ちを汲んでくれたことはありませんでした。

結局のところ、母にとって私は自分の言うとおりに動かせる人形でしかなくて、私の気持ちなんてどうでもよかったのです。

 

「お母さん、進路の事で相談があるんだけど」

「相談も何も今のところでいいじゃない。 歴史あるいい学校なのよ? 他にどこがあるの?」

進学も中学校、高校、大学とずっと南山学園で、私に選ぶ自由はありませんでした。

学校は好きでしたが、制服のかわいい高校に行きたかった、なんて思う時が今でもあります。

 

就職先もあれこれ言われ、本当は教師になりたかったのですが大手企業の事務職に就くことになりました。今時教師なんて面倒が多いだけだと。

 散々愚痴を言わせて頂きましたが、結論として言いたいのは私に何かを選ぶ自由はなかったという事です。

 「あなたのため」と言う母の押し付けで今まで生きてきました。

 

「お見合いの準備は進めておくから、あなたも用意しておいてね」

 「え? 用意?」

 そんな急に言われても何をしたらいいの? というのが正直な気持ちでした。

 

ただでさえ遊ぶ自由が、人と交遊を深める機会が乏しく、学校も男子部と女子部で区切られていたために異性と関わる機会がなかった私は急に結婚と言われても実感が湧きません。

 友達が彼氏とデートに行く間、私は何の役に立つかもわからない習い事に通わされていたのです。今まで彼氏なんてできたこともなく、出会いすらなかった私に異性と上手くやっていけるのか、正直、不安しかありませんでした。

 

そしてこの予想は、おおよそ当たることになったのです。

 

 

次回 1月14日金曜日更新予定

清美は母から突然見合い話を持ち掛けられる。遊ぶ自由もなかった清美は異性と上手く関わっていけるのか不安を覚えるが…?