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【北京冬季オリンピック開催記念!vol.1】知っているようで知らないお隣さん 摩訶不思議な魅力をもつ中国

2022年24日、本日開催される北京冬季オリンピック。

なんと北京は夏季と冬季、両方のオリンピックが開催される初の都市なのだとか。

日本と中国とのお付き合いは非常に長く、歴史的に大きな関わり合いがあり、昔から政治的にも経済的にも切り離せない関係にありました。

 

しかし、いつの頃からか、日本と関わりの深い国はアメリカを中心とする西欧の国々に変化していってしまい、お隣の国ながら、中国は何となく日本とは縁遠い国と感じるようになってしまいました。

そんな、知っているようで知らないお隣さん「摩訶不思議な魅力をもつ中国」について、深堀りしていきたいと思います。

 

中国について

まずは、「中国」こと「中華人民共和国」の基本情報についてご説明していきます。

 

中国の成り立ち

中学校の教科書にも載っていましたが、古代中国の王朝である「殷(いん)」が、考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝とされています。

その後、『三国志』などで圧倒的な人気を誇る「漢」の時代から「三国時代」を経て、長い歴史を辿りながら「中華民国」となり、1949101日に毛沢東が北京市天安門広場で建国宣言を行ったことで、「中華人民共和国」が成立しました。

 

民族 圧倒的割合の漢族 

単一民族である日本とは異って、中国は多民族国家です。

しかし、中国共産党政権が「中華民族」を「漢族と55少数民族の総称」と規定しているように、「漢族(漢民族)」が中国の人口の90%以上を占めています。

また、少数といっても、その人口は軽く1億人を超えていて、日本の感覚からすると「どこが“少数”なの?」という疑問を持たずにはいられません。

 

宗教 意外な結果に…

「仏教は中国から伝わった」と学習しているせいか、中国の宗教というと「仏教」をイメージしがちですが、近年の調査では仏教を信仰する人の割合は約16%ということが分かりました。

一番多いのは「無宗教・民族信仰」ということですが、日本人と違って宗教の話題にナーバスな外国人は多いので、あまり親しくない中国の方とは宗教の話題は避けるようにしましょう。

 

たくさんある世界遺産 その中でも有名なものといえば

2021年の7月時点で、中国の世界遺産はユネスコに56件が登録されていて、登録の前段階となる暫定リストは59件になっています。

中国の歴史上の偉人といえば、中国史上初めて天下統一を成し遂げた「始皇帝」がいますが、始皇帝に関わりの深い世界遺産があります。

 

どこまで続くの… 万里の長城

「万里の長城」は、異民族の侵攻を防ぐために、紀元前200年頃に始皇帝によって建設されました。

 

その後は修築と移転が繰り返されて、現存している「万里の長城」の大部分は14世紀から17世紀にかけての「明」の時代に作られたものになっています。

作るのに1700年以上かけられていて、サグラダファミリアもビックリの建造物ですが、現存する人工壁の長さは6259.6kmとなっていて、「壁」という概念を打ち破るようなものになっています。

膨大な長さの壁ですが、東の端は海に突き出していて、西の端は崖へと繋がっていて、端から端まで「侵入を防ぐ」という役目を全うしています。

 

ちなみに、「宇宙から肉眼で見える唯一の人工建造物は万里の長城だけ」という話を聞いたことがあるのではないでしょうか。中国の国語の教科書にも載っているくらい中国では有名な話ですが、実はこの話は間違いなのです。

2003年、中国の宇宙船「神舟5号」で宇宙に旅立った中国初の宇宙飛行士、楊利偉(ようりい)が「宇宙から万里の長城は見えない」と、はっきりと否定してしまったのです…

 

シリアルナンバーがついている!? 兵馬俑

兵馬俑(へいばよう)とは、古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑(墳墓に副葬された人形等)のうち、兵士及び馬をかたどったもののことで、一般的に始皇帝陵の兵馬俑のことを指します。

兵隊俑の平均身長は180センチもあり、顔の表情はそれぞれ異っていて、身分によって服装もまちまちですが、いずれも手に武器を握っていて、ここで眠っている始皇帝をしっかりと守ってくれています。

すべての兵馬俑には、作者が分かるように、作者独自のマークが一体一体に付けられているそうです。

 

天下統一を果たした始皇帝が、死後の世界でも皇帝の地位を持ち永遠に守られるようにと、70万人以上の職人と労働者を動員し約40年かかってつくられました。

兵馬俑は1974年に井戸を掘るひとりの農民によって発見されましたが、この農民は発見した後に莫大な報酬を受けることもなく、博物館をつくるために転居までさせられます。

 

しかし、その後は博物館で来館者が購入した本に、兵馬俑発見者としてサインをしながら、月給約15千円で定年まで生計を立てていたそうです。

 

およそ10年で中国を統一した始皇帝でしたが、自分を守るために40年かけて兵馬俑を作ったことなどで不満が多く、始皇帝の死後は反乱がおこり秦が滅亡することになるのです…